2013年6月19日水曜日

人を愛するのも才能がいるのだ~6/15稲川方人さんとのトーク

6月15日(土) 上映後 トーク<ツネちゃんが会いたい~vol.2>

左より常本琢招監督、稲川方人さん(詩人、編集者、批評家)


この日のゲストは、福間健二さんに引き続き常本監督が是非ともお呼びしたいゲストシリーズ第2弾、稲川方人さんです。稲川さんは、常本監督のピンク映画デビュー作の主題歌の歌詞をつけて下さった方。
日ごろからお付き合いがある訳ではないとのことですが、デビューした当初から常に意識してくださったという稲川さんに『蒼白者A Pale Woman』の感想をお聞きしました。
その一部を採録いたしましたのでご紹介いたします。

稲川:常本さんの作品は、昔観たことのある8ミリの傑作長編が非常に強く印象に残っていて、ずっと注目をしていました。
常本:ありがとうございます。それが80年代終わりで、その後にピンク映画デビューしたのですが、映画だから主題歌がなきゃと、何故かそのとき思ってその作詞を稲川さんにお願いしたらなんと受けてくださったという。
稲川:「みなしごキッチン」というタイトルでした。「みなしご」というのは、その頃、私が抱えてきたとても重要なテーマだったことを覚えています。
その後、密な付き合いを常本さんとしている訳ではありませんでしたが「常本琢招」という名前は、常にある種の注意ははらっていました。
ただ80年後期から90年に入って、2000年代と映画自体の変容期に、常本さんを含めてその頃の作家たちはどうしているのだろうと思っていたもところもあり、今回の一般劇場デビュー作のお知らせは私にはとっては唐突ではありましたが、非常に嬉しいものがありました。
常本:映画の印象は如何でしたでしょうか?
稲川:本日観たのは二度目だったのですが、今日においてジャンル映画の形式や話法を背負いながらノワールな犯罪映画を撮ることの意味を考えました。
話法や語り口に破綻がない。「破綻がない」という評価はネガティブに聞こえるが、そうではなく、ジャンル映画に対する常本さんの意識、認識が十全に発揮されているという意味です。「ジャンル映画」をどういう風に語れば、最も現在の映画の意識に一致するのか、常本琢招という作家の現在性と話法にずれがない、ということが印象的でした。
映画全般の意識が、ジャンル映画を消滅させようとしてきた20年だったと思います。
映画が別のものに肥大した20年だった。その中で常本監督に限らず、映画が歴史的に培っていた話法を模索している人は少数いますが、全般的にはジャンル映画が衰退していく過程だったと思います。
『蒼白者』はノワールな犯罪映画を、作家の同一性を崩さずに、映画的なものの記憶を引き出してくれているなという感じがして、観ていて私の映画的体験に豊かな光を与えてくれたと思いました。
常本:今回はCO2という企画内で撮ったのですが、CO2で今まで撮られてきた作品は、自分の身の回りのことが主題であったり、自分たちの抱えている問題を扱うような映画が多い印象があって、こういうタイプの映画はあまりないかなと思っていたことが一つ、併せて今まで自分の観てきた娯楽映画を、まずは踏襲しないと先に進めないと思っていたところはあります。
ただ、いわゆる若い観客層と自分の意識がずれたまま出来上がるのかという不安は感じてはいましたが、強引にやりたいことをやってしまいました。
稲川:ジャンル映画が映画史120年の過程で形成され、そしていまそれが衰退する時期にこれを出すというのは、反時代的な行為なわけです。今日の時代的感性へのアンチテーゼとも言えます。もっと言えば攻撃的ともいっていい。もちろん現在の感性がこの映画をどう見るのか、どうずれるのかということはあります。しかしそもそもが反時代的な映画なのだから、それは無用な危惧だと思います。
またその反時代的な行為と攻撃性は、常本監督の作家としての同一性のみならず、映画にとってよいことだと思うのです。映画自身が作ってきた長い時間に対する「まなざし」はいつでも注がれなければならない、それはとても重要なことです。そしてその視線を獲得するのは才能のいることです。
常本:過分なお言葉ありがとうございます。私としては、ジャンル映画の一番最後の方に、こんな犯罪映画をこっそりおきたいなと思っていたので自分にとっては満足しかないというのが本当のところです。
そのあと、話は具体的に映画本編の話に。

稲川:大阪の町と光が非常に印象的な映画でした。
常本:TVディレクターとして、よく大阪に行く機会が多いのですが、大阪には西日の強いイメージがありました。その光の中でそこに蠢いている人たちの姿を妄想してストーリーを組み立てたのを覚えています。
稲川:光と言えば、キム・コッビが、最初に教会で倒れるシーンや、重要なことをしゃべっているときに常に白い光が当たっているのも印象的でした。
常本:蒼白者というと蒼(青)なんですが、顔面蒼白という時は白なわけで、映画自体のキーカラーは白かなとイメージをもっていたので、コッビさんにあたる光はそれに統一してやってもらいました。
稲川:コッビさんに当たる光はむしろ垂直的ですよね。神学的な光なわけです。それが縦の光だとすると、町を照らすその西からの光、そちらは横軸の光と言っていいかもしれませんが、それが大阪の町の雰囲気を作っているなと思いました。「才能」という言葉を使ったのでさらに言いますと、人を愛するのも才能がいるのだということをキム・コッビは体現しています。私も例外ではありませんが、いまこの国は、人を愛する才能を奪われてしまった人々でごったがえしています。そこに彼女は降誕したのだと思います。
丁寧に言葉を紡いで、この映画への想いを静かに語って下さる姿が印象的でした。
終電ぎりぎりまで残って下さり本当に有難うございました。

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